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| 海だ! レジャーだ!沖縄特集 |
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| ●沖縄県の気候 | |
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亜熱帯の島といわれる沖縄の気候は、年間の温度差が小さいことが特長。日差しの強い夏でも
30℃を極端に超える日は少なく、冬でも16℃前後の暖かさで10℃を下回る日はほとんどない。降
水量は年間約2,000mm、降水日数は年間125日で雨の多い県でもある。 湿度は、年平均77%と高くなっているが、年間を通しての風速が平均4.7m/Sもあるため、気温の 高い夏でもわりあい過ごしやすい。このような気候は沖縄付近を流れる黒潮の影響を受けている ためといわれる。 |
| ●那覇市の歴史 | |
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琉球王朝のあった首里高台から見下ろす浮島の小さな漁村、それが今から約600年ほど前の那
覇の姿だ。しかしその村が海中道路で結ばれ、首里と陸続きになった15世紀の半ば過ぎからは、
首里の港町として急速に発展する。特に泊、那覇両港が諸外国との貿易港として栄えるにつれ、
その周辺にも町が誕生するほどになってきた。 その後は17世紀初頭の薩摩侵入により、一時期衰退したこともあったが、18世紀前半ともなると 再び活況を取り戻し商業活動も隆盛をきわめた。 1879年(明治12年)には廃藩置県が行われ、それまでの琉球国は沖縄県になり、政治の中心は 首里から那覇に移行した。 ところがその那覇も1944年の空襲に始まる沖縄戦で壊滅的な打撃を受け、すべてが焦土と化し てしまった。しかしながら人々はまったく無のところからたくましく町の再建に乗りだし、戦後復旧を 成し遂げる。なかでも国際通り一帯は、「奇跡の1マイル」と異名をとるほどの発展をみせた。 その後、隣接する地域を吸収しながらますます拡大してきた那覇市は、現在ではかつてをしのぐ 商業都市として繁栄をみせている。さらに近年では沖縄観光の表玄関としての機能にも期待がか かっている。 |
| ●沖縄県の文化財 | |
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15世紀の初頭から、琉球王府は積極的に対外貿易にのりだし、西は中国、北は朝鮮や日本、そ
して南は東南アジア諸国という一大ルートをもつ中継貿易国家として発展した。こうした発展は国
家経済を支えたばかりでなく分化面にもあらわれ王都首里を中心に各方面でさまざまな文化が
花開き始め、沖縄文化の第一次隆盛期を迎えた。現在も残る堅牢強固な石造建築をはじめ、染
織や酒などはこの頃からのものだ。 16世紀後半になると、日本では強大な封建国家が確立し始め、琉球にもその波が押し寄せてくる。 そして17世紀には薩摩藩の島津氏を通して日本に従属する体制となった。その結果日本文化が 流入し、沖縄文化は第二次隆盛期に突入していった。この時代には工芸はもちろん、文学や芸 能などの分野の発展も目ざましく、18世紀に入り“沖縄文化のルネッサンス”と称されるほどの隆 盛を見せている。 以上のように沖縄文化の背景をみてみるとアジア各国のさまざまな文化をとりいれてアレンジした “雑種文化”の感があるが、その根底には沖縄の風土や生活習慣に基づいた息づかいが感じら れる。 太平洋戦争により多くのものを失った沖縄だが、今では復元も進み、再び往時の威容を偲ばせて くれる旧跡が数多くある。 1853年の浦賀入港に先だって、始めて沖縄に立ち寄ったペリー一行は、15世紀半ばに築かれた 中城城跡の石工術を賞賛し、わざわざ測量をしている。この城跡は見事なもので、現在もほぼ完 全な形で残されている。 また沖縄民芸の紹介者として名高い民芸運動家・柳宗悦氏は、首里の玉陵(たまうどぅん)につい て“琉球最大の墓陵であるのみならずその幽玄さにおいて匹敵するものは世界でも稀である”と までいっている。 |
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