国後を望む、青き海廊に無数の銀鱗が輝く。その上を誇らしげに翻る大漁旗。魚影を遥か上空から追うオジロワシの羽ばたき。ここは羅臼港。海の男が海の男であり続ける最後の港町。人跡未踏の山野に、太古の昔から繰り広げられる野生の饗宴。羅臼岳の山容に沿って流れる清流が、いくつもの美しき命を育む。知床・羅臼。日本に残された最後の大自然。気取らないあたらしさに触れたとき、飾らない情に出会ったとき、港の旅は忘れがたい思い出となった。最果ての町羅臼。人々は深く、大きく、優しかった。
世界の三大漁場に数えられるオホーツク海。その豊かさの源は流氷にあるという。流氷によって閉ざされる冬期間は、流氷が運んでくれる豊富な栄養素で海が満たされる。しかもその期間自然の禁漁期間となる。知床半島と国後島に挟まれた羅臼の前浜である根室海峡は、オホーツク海に突き出た巨大な水路で、多種多様なオホーツクの魚がここを通る。こうした条件から、羅臼は魚がおいしいところとして知られ、市場では羅臼産というだけで値段が上がるという。
「知床旅情」。羅臼の歌である。昭和35年、映画「地の果てに生きるもの」のロケが羅臼で行われた。森繁久弥主演のこの映画に、当時の羅臼の人々は全面的に協力。その姿に感激した、森繁久弥がお礼にと、ロケの最終日、泊まっていた旅館で夜を徹して作り上げたのがこの「知床旅情」だ。歌が完成すると森繁は、他のスタッフに覚えさせ、歌いながら宿を後にした。森繁らの歌う「知床旅情」は、いつのまにか町民に広がり、この日、数百人のコーラスとなって、一行を見送ったという。森繁は「私たちは日本中を歩き回ったが、こんなに人情の機微に触れたことはない」と言い残した。それから40年の月日が流れたが、羅臼の人情は今も変わらずにある。
羅臼川をさかのぼると熊越の滝に出会う。その手前の湿地帯には底なし沼があったという。かつて、羅臼川を支配していた神が、知床の覇権を握ろうと羅臼岳の神に戦いを挑んだ。その激しい戦いによって地は裂け、山はとどろき、この沼ができたと言われる。そして羅臼川を支配していた神は戦いに敗れ、 この沼に幽閉された。それ以降不意にこの沼に足を踏み込む者を引きずり込んでいたという。知床、アイヌ語でシリエトク(地の果てという意味)と呼ばれたこの半島。かつてはアイヌの人々の聖地として崇められ、和人が定住してからも容易に人を近づけない聖地として君臨し続ける。
羅臼の青年でユニークが経歴の持ち主がいる。もともと旅人で、羅臼に魅せられて長逗留しているうちに本当の漁師になってしまったという。教科書に出てきそうな旧所名跡があるわけでなく、いま流行りのアミューズメントパークがあるわけではない。けれどもこの道東の港町は、なぜか人の旅する心を刺激してやまない。知床の雄大な自然と、海に生きる人々の風土が現代人の郷愁を誘うのだ、と解釈しても本当ではないような気がする。
知る人ぞ知る名湯。町に一番近く、外海で冷え切った体を温める漁師で、いつもいっぱいの露天風呂。羅臼川のほとりに作られたこの露天風呂。地元の人たちに人気があるのは当然。さらに旅行者にも好評だ。近くのキャンプ場の旅行者たちにもこよなく愛されている。
知床半島の岬方向に車を走らせるとセセキ温泉がある。もう少し行けば知床半島の先端のところ。この温泉は、海岸に岩で囲っただけの露天風呂。満潮時には海水で埋没し、入れなくなるという秘湯中の秘湯だ。
セセキ温泉よりさらに先へ。舗装道路が果てる相泊地区に温泉がある。日本最東端の温泉がここ相泊温泉だ。温泉といっても露天風呂にわずかばかりの日除けが付けられているだけ。お湯の純度は濃く、体の芯まで温まる。これら羅臼の三つの温泉、無料なのがうれしい。
中標津空港 (羅臼まで約80km)
釧路空港 (羅臼まで約200km)
女満別空港 (羅臼まで約130km)
札幌〜旭川〜網走〜羅臼 約450km
札幌〜帯広〜釧路〜羅臼 約540km
JR釧路駅〜中標津〜羅臼 1日4往復、3時間30分
ウトロ市街〜知床横断道路〜羅臼 55分(6月中旬から10月15日運行)
フェリー 釧路〜東京 30時間40分