養老町は、岐阜県の西南部・濃尾平野に位置する水と緑の美しい町。また八世紀の始めにすでに年号にも使用されているほど古い歴史と由緒をもっている。この地には紀元前の昔から水田耕作営みながら弥生式土器を使う文化の高い人々が住んでいた。
歴史のある養老町は、元正天皇の改元の後、養老の滝・孝子伝説が国中に紹介される一方、平安時代には多芸七坊の大伽藍が立ち並び、大いに文化が栄えた。
昔、この地に貧しいけれど親を敬い大切にしている樵(きこり)が住んでいた。毎日山の薪を取って年老いた父を養っていたいたが、貧しく老父の好む酒を買うことができなかった。
ある日山奥に登り、谷深くの岩壁から流れ落ちる水を眺めながら「この水が酒であったらなぁ」と思った時、岩から滑り落ちしばらく気を失っていた。ふと気がつくと酒の香りがただよっており、あたりを見廻すと岩間の泉から山吹色の水が湧き出ていた。舐めてみると酒で、ひょうたんに入れて喜んで家に帰り、老父に飲ませた。この不思議な水を飲んだ老父は、髪は黒くなり皺もなくなりすっかり若返ったという。
これを聞いた奈良の都の元正天皇は、「親孝行を神々がお誉めになったもの」とおおせになり、さっそくこの地を訪れ、飲浴されると肌は滑らか痛みは消えた。そして老いを養う若返りの水ということで年号を養老と改め、孝子節婦を表彰されたという。
通の要衝であった伊勢街道が開かれたのは、物部氏の一族である多芸氏が部民を従えてこの地へ移住し、日本武尊が伊吹山の賊を平定して伊勢へ下った頃。周辺にある古墳群からの出土品は、当時の文化を伝えている。これらすぐれた先人達は、神社を祀り町の行政を整え、条里の制度を設けたという。
壬申の乱においての養老勢の活躍は目覚しく、その後元正天皇、聖武天皇の行幸や将軍足利義満など数多くの都人がこの地に来遊している。その結果養老山腹一帯に多芸七坊の大伽藍が建ち並ぶなどこの地域は、一時的に東海文化の中心地となるほどであった。
現在町の神社仏閣には、国の重要文化財3点、県の指定重要文化財17 点、町の指定重要文化財177点が保存されている。
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