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第28回 国の重要文化財「日本橋」は再生できるか…

2004.10.15

「日本橋」に架かる高速道路の撤去…

 「♪お江戸日本橋七つ立ち 初上り 行列そろえて・・・」と歌われる日本橋。かつては江戸の中心であり、日本の中心でもありました。ところがどうでしょう。今は橋の上に首都高速道路が覆い被さり、なんとも惨めな姿となっています。
 この首都高速道路、東京オリンピックの開催(1964年)に合わせて建設されたのですが、今思うと随分と無謀なことをしたものです。当時は日本中が高度成長に向っていた時期でもあり、こんなことが許されたのでしょうが、情けない話です。
 首都高速道路は数キロに渡り日本橋川の上に建設されましたので、隣の「江戸橋」、その先の「常盤橋」「竹橋」「一ツ橋」等も同じような状況です。これらの橋も大変風情のある石橋なのに、全滅です。

 ところが、日本橋に架かるこの首都高速を撤去しようという動きが具体的になってきました。建設されてから既に40年が経ち老朽化も進んでいるため、その対応策が検討されていますが、その中で日本橋を再生しようと動き出しているのです。
 中央区と地元で協議が重ねられていて、日本橋の手前で迂回させる案や他に移す等の具体案が示されています。ビルの中を通せば2,000億円、地下を通せば4,000億円、別ルートなら7,500億円という途方もない建設費が掛かるらしいのですが、一日も早く何とかして欲しいと思います。「東京アクアライン」に1兆4400億円も使ったことを考えれば、驚くような金額ではないかもしれません。

全ての道は「日本橋」に通ず…

 話は変わりますが、日本橋を建設したのは誰かご存知ですか。それは徳川家康で、慶長8年(1603年)江戸に幕府を開いた家康は、日本の中心を京都から江戸に変えようと、江戸を中心にした幹線道路の整備を進めました。
 その主要幹線道路は「五街道」(東海道、中仙道、甲州道、日光道、奥州街道)と呼ばれ、その起点として日本橋が定められました。五街道には1里毎に「一里塚」が築かれ、一定間隔で「宿場」が設けられる等通行人の便宜が図られました。こうした道路整備により上方と江戸の文化交流が始まり、起点となった日本橋一帯は経済と文化の中心地として大いに繁栄したのです。

「日本橋」から「京都三条大橋」まで約2週間の旅・…

 ところで冒頭の「♪お江戸日本橋七つ立ち 初上り 行列そろえて・・・」は道中唄の始まりですが、その後に「アレワイサノサ こちゃ高輪 夜明けて提灯消す コチャエコチャエ・・・」と続きます。当時京都に行くには随分大変だったのですね。毎日暗い内に宿を出発し、なんと半月もかかったようです。
 「夜明け前の七つ(午前4時)に日本橋を旅立ち、高輪辺りに来ると夜が明けるので提灯の火を消す。・・・」最初の宿場が「品川」ですからここで休憩し、次の宿場「川崎」に向う。終点の「京都三条大橋」迄に53の宿場(東海道五十三次)が設けられていましたので、休憩しながら京都を目指した訳です。

国の重要文化財「日本橋」…

 当時江戸のシンボルとされた日本橋も、今は橋の真上に首都高速が通っているので、その良さが分かりにくいのですが、よく見るととても美しく風格のある橋です。2連アーチ式の石造りで、橋詰には15代将軍・徳川慶喜の筆とされる「日本橋」という文字掲げられています。
 また橋の中央には、ここが道路の起点であることを示す「日本国道路元標」のプレートが埋め込まれています。南は国道1号(東海道)、北は国道4号(日光街道)が始まります。ドライブ中によく見かける道路標識の「東京へ○○km」という表示は、ここからの距離ということになります。

 日本橋はこれまで何度も付け替えが行われ、現在の橋は19代目で明治44年(1911年)に架け替えられたものです。平成10年(1999年)には改修工事が行われ、翌年に国の重要文化財に指定されました。かけがえのない歴史的遺産を大切にしましょう。

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