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第9回 歴史的遺産・沖縄「首里城」復元の背景とは…

2004.03.03

首里城は琉球王国の文化の象徴です

地図

 最近沖縄民謡や島唄ポップスが人気を博していますが、純粋で哀愁を帯びた独特のメロディーに心癒される方も多いかと思います。その沖縄のシンボルといわれる「首里城」に行ってきましたのでご紹介します。

 沖縄は1879年(明治12年)までは琉球と呼ばれ、長い歴史を持つ独立国家でした。琉球に人類が住み始めたのは3万年前といわれ、12世紀から14世紀中頃にかけては按司(あじ)と呼ばれる各地の豪族が全土で抗争を繰り返していました。これを統一したのが南部の豪族・尚巴志(しょうはし)で、1429年「琉球王国」として建国を成し遂げます。
 以後琉球は日本や中国をはじめとするアジア諸国との平和外交と貿易によって繁栄し、独自の文化を持つ豊かな王国として栄えました。その歴代国王の居城が首里城であり、政治、経済、文化の中心となったのです。

 琉球の平和と繁栄は180年ほど続きますが、海外交易による莫大な利益に着目した薩摩藩が1609年突如侵略し、その支配下におきます。そして当時鎖国政策をとっていた幕府は、海外交易を続けるため琉球王朝をそのまま存続させ、支配は明治維新まで続きます。その後明治12年になると明治政府は、いわゆる「琉球処分」を断行し沖縄県を設置します。
 これにより国王・尚泰(しょうたい)が首里城を去り(退位)、450年間に亘る琉球王国の歴史が終わりました。


沖縄県民の悲願といわれた首里城復元

正殿

 明治政府は首里城に日本陸軍を駐屯させ、第2次世界大戦の末期になるとその数8万人に至ります。そして沖縄戦において日本軍は首里城のある地域に地下陣地を築いて応戦したため、首里城は米軍の凄まじい攻撃に遭い国宝11点を含め全て破壊されてしまうのです。
 戦後はその跡地に琉球大学が創設されキャンパスとして利用されますが、敷地が狭く史跡に指定されていたこともあり拡張や増設ができず、1979年琉球大学は移転することになります。

 その跡地の再開発プロジェクトとして浮上したのが、沖縄県民の悲願ともいわれた首里城の復元でした。計画はすんなり進んだかというと、多くの困難が待ち受けていました。一部の学者からは"全壊した首里城に歴史的価値はない"と指摘されることもあり、また政府も"消滅した文化財の復元に国庫は出せない"など計画が危ぶまれたのです。さらには復元しようにも資料がほとんど残されていないという状況でした。
 しかしながら、多くの人々の努力が実り1989年「日本復帰20周年事業」として着工され、1992年完成に至りました。その後2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録されました。


世界有数の観光資源を後世に残す

川平湾

 首里城はこれまで3回失火によって焼失していますので、今回が4回目の再建となります。
首里城の復元に使われた総工費は106億円で、国が25億円、県が81億円を負担しました。すごい金額です。ですが民間でも200億円位の設備投資をする企業が結構あります。そう考えると、逆に驚くような金額ではないのかもしれません。"文化遺産の復元"ですから。
 復元された首里城はまだ全体の3分の1といわれ今後も作業が続くということなので、100年後を考え国策としてもっと支援していただければと思います。それともう一つ。

 "青い海、青い空、白いさんご礁、さらにはジュゴンも住む"沖縄の自然。沖縄には世界有数の観光資源が残されています。でも年々自然破壊が進んでいるということなので心配です。人魚のモデルとされるジュゴンですが、もう50頭位しかいなくて絶滅の危機に瀕しているという。歴史的遺産の復元と同時に自然保護もどうかよろしくお願いします。


次回は、朱礼門に掲げられた「守禮之邦」とは…についてご紹介します。

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